義母の家

結婚すると決めた後、夫に連れられ実家へ挨拶に行き、初めて夫の母にあった。

それまで「おかあさんってどんなひと?」と聞いてきたエピソードが結構強烈だったので、かなり緊張していたのだが、迎えてくれた義母は明るく優しく気さくで、安堵したことを覚えている。

義母は『「ナスターシャ・キンスキー」に似ている』と実の息子に言わしめるほどの美貌の持ち主だった。

夫が高校生のときに、義母は夫を家から追い出し、離婚した。

そしてシングルマザーとして夫と弟を養い、二人の息子の学費を稼ぎ、家のローンも完済した。

田舎のしがらみ多い環境ではなかなか辛いこともあったと思うが、そんなことを微塵も感じさせない強さを持っていた。

美人の義母に言い寄る男性もさぞかし多かったはずで、女性の嫉妬ややっかみも多かったと思うのだが、周囲にネガティブを寄せ付けない雰囲気があり、見かけの明るいオープンさより、ずっと用心深く慎重だった。

実の息子にも距離を置くようなところがあった。

それは義母の自己保身の術だったと思う。

「私はひとりがあってるの。離婚した時はせいせいした〜ワクワクしたわね」

義母が言った言葉が今も心に残ってる。

「あのね、最後に頼れるのは自分、大切なのも自分よ」

 

義母が何より執着したのは、自分がローンを支払った家だった。

70年代に建てられた夫の実家は、当時に珍しく建築デザイナー注文住宅で、周りの瓦屋根の田舎の家の中で異彩を放っていたという。

外観だけでなくインテリアも当時の最先端デザインがあつらわれ、70年代映画にトリップしたようだ。

グリーンと白のボーダーの壁紙に煉瓦のフェイク暖炉が設えてあり、冬はそこにストーブを置いていた。

天井からは、四角いアクリルのペンダントランプが下がっている。オレンジ色のキューブ型のランプはリビングとダイニング、階段上にも設置され、部屋に入った時に目線がだんだん上へ上がるように設計されている。

階段はダイニングの突き当たりにスケルトン仕様になっており、最先端のおしゃれなデザインがあちこちにあって、映画セットのようだ。

上り框があって掘り炬燵のある和室と、斜めになった天井に天窓がある寝室が、母のお気に入りだった。

和室の欄窓にはぐるりと、旅行で行った観光名所の地名が入った提灯をぶら下げていた。

今は、リビングに介護ベッドを設置してほぼ寝たきりになってしまったが、元気な頃は天窓から月と星を見ながら寝るのが大好きと言っていた。

義母はこの家で死にたい、と施設に入ることを拒み、最後まで家にいることにこだわった。