義母の家 2

義母の家は、家族の黄金期の思い出に埋もれている。

家中の壁や階段の踊り場には、子供達が描いた絵や習字、表彰状がかけられており、義母の趣味の日本刺繍の壁掛けはその隙間に控えめに飾ってあった。

フェイク暖炉のマントルピースの上には、墓標のように写真たてが前後左右に押し合いながら並んでいる。

一番前に並べられているのが最新の写真で、奥に行くほど古いという時系列順になっていた。

そして真ん中に燦然とカラオケの優勝トロフィーが飾ってあった。

義母の元気だった頃の最大の趣味がカラオケで、地元の教室に通っていた。

義母の家のリビングで一番目立つところに飾ってあるのが、そのトロフィーだった。ソファに座ると正面に設置してあり、その上に古ぼけたA4サイズの額が掛けてあった。

額の中には古い新聞の切り抜きがいくつも貼ってあり、初めて見た人は聞かずにはいられない位置に飾ってあった。

「あれはなんですか?」

義母は自慢げに答える。

「息子は小学生の時は、ここらじゃちょっとした有名人だったんですよ。子役タレントってところですかね。今は普通のサラリーマンですけど」

 

新聞は当時のスポーツ新聞で、「さすがテレビっ子!」と大きな見出しが入っており、誌面いっぱいに白いスーツ姿でマイクを握る小学生が写っていた。

夫が小学生当時、小学生ののど自慢番組がいくつもあった。

まだスター誕生などの素人参加番組が始まる前で、小学生や幼稚園生が歌謡曲を歌い、審査員が点をつけるコンクール形式の番組が流行っていた。

夫は、地元の盆踊り大会で沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌って優勝し、偶然居合わせたテレビプロデューサーにスカウトされて「ちびっこのど自慢」に出場することになった。

義母は「私が付き添って東京のスタジオやテレビ局へ毎週のように通ってね、ちょっとしたコンテスト嵐だったのよ」と自慢げに言った。

その年の年末、紅白歌合戦に出場する歌手を子どもたちがまねて歌う「大みそか!ちびっこ紅白歌合戦」という番組が放映されることになり、夫は大トリの沢田研二を依頼された。

当時の沢田研二は、押しも押されぬスター歌手で歌謡界のトップだった。

夫は嬉しく誇らしく思いながらも、別段緊張することなく歌っている間、ただただステージって眩しいなと考えていたそうだ。

 

録画放送だったから、放映は家族と見たよ。

もちろんビデオなんてないから、記念にテレビの画面をカメラでバシャバシャ撮った。

次の日、スポーツ新聞に載っているのを親戚から聞いて、買いに行ったなあ。

それから、学校内でも街を歩いていても、誰かに指を刺されて注目される日々が続いた。

別に何とも思わなかった。いや、ちょっとは意識した。でも、まぁうん。楽しかったよ。

 

あの頃のテレビの影響力は絶大だったから、義母は鼻高々だったろう。

でもその後、スター誕生とかの番組には出なかったの?

私が聞くと、不意に夫も義母も押し黙った。沈黙が耳に痛いくらいだ。ようやく夫が口を開いた。

一度は予選を通ったけど、まあその後は面倒くさくなっちゃってさ。今の通りさ。

あのまま頑張っていても長続きしなかったと思うよ、と夫は何なく言った。

義母は、何とか続けさせようとしたのだけどね、と言葉を濁した。

 

いつもこの話になると、最後は宙ぶらりんになって終わる。

確かに栄光な日々のはずなのに、家族全員、結末を語るのをためらうように最後は口をつぐむ。

何があったのか、明らかにされることはなく、そこには時間の壁がそびえたっている。

私は、この人たちの中ではいつまで経っても家族ではないのだと、その度に感じた。

 

それでも義母は、折に触れて、息子のテレビ出演の日々を話した。

子供用のアーノルド・パーマーのポロシャツをテレビ出演のために買ったのよ。高かったわよ、街に一枚しか売っていなかった。でも買ったわ。

あの時、カラーテレビに買い替えたばかりだった。

薄いベージュと濃茶色のストライプシャツ、白黒テレビだったら映えなかったわね。

すっごく似合ってて良いとこの坊ちゃんに見えてね、買ってよかったって大満足だった。

私、今で言うステージママだったのね。

東京の学校に転校させて、タレント事務所に下宿させる話もあったのよ。

どうする?行ってみる?って聞いたら「でも友達と遊べなくなっちゃう」って即答されて、ああ、こりゃダメだなって悟ったの。無理に上京させても、きっと辞めちゃうなって。

子供のことだもん、そんなもんだよ。英会話やサッカーみたいな習い事の一つくらいにしか考えてなかったのね。

今、考えると無理に押し付けなくて良かったって思う。

 

義母は後年、カラオケ教室に熱心に通っていた。

私が歌いたかったのよね。

人生終える前に好きなことに打ち込む時間が持てて良かったわ。

また歌いたい?

義母から返事はなかった。