絵を描くのに意味なんかないけれど

昨日は娘の学校の「進学説明会」だった。

進路についてのガイダンスや卒業生の現在の報告講演があったのだ。

なかなか聞けない話をたくさん聞けて、有意義だった。

4人の卒業生が登壇し、パワーポイントのスクリーンを示しながら、受験時の苦労や就職活動の詳細、働き始めての話などを講演してくれた。

皆さん、プレゼンも自己アピールもしっかりしていて素晴らしく頼もしい。

しかし、明るい口調と裏腹に気になったのは、受験の苦労でも就職の悩みでもなく、4人中3人までが「大学が辛かった」といっていた言葉だった。

「大学時代は充実していた」といった唯一の卒業生が通っていたのは短大で、本人も「早く働きたかったので就職に有利な学校を選んだ」といっていた。

「大学が辛かった」3人は4年制に通っていたが、全員が在学中に人間関係だったり教授の理不尽だったりに悩み、悩みが高じて「人より動物が良い」と牧場に就職した人もいた。

4年間って、やはり長い。

その時間に一つのことに打ち込むのは素晴らしいことではあるけれど、分野が分野なだけに視野が狭くなるというか、煮詰まるのだな…と自分の昔を振り返りながら感じた。

自分の若い頃を考えても、20歳前後が一番きつい時期だった。

そして、大学という狭い空間で権力を振りかざす大人が、自分のプライドを満足させるために若い人たちを傷つけ振り回しているのは今も変わらないのだと苦く思った。

 

「あなたの絵にはスキルはあるけどハートが感じられない」

講評会でそう言われてから、筆を持つのが辛い時期があって

それからは、少しでも内面を高めるためにと本を読んだり映画を見たり、常に周りと比べながら何が足りないのだろうと自問し続けました。

ハートってなんだろう、ないと意味がないのだろうか。

それでもやっぱり絵を描いてしまう。意味もなく描いている。

そして気づいたのは、私は人のために絵を描いている時が一番楽しいということでした。

依頼されたものを描いて、感謝されれば嬉しいし喜びを感じる。

自分から描きたいと思うものほど、上手く描けない。本当に描きたいのか、その行為に意味はあるのか。描けないことにストレスを感じて悪循環に陥る。それはやっぱり、他者からの賞賛が欲しいと思いながら描いているからなのだと思ったのです。

それでアニメーターを志し、今年スタジオに入社しました。

10人入って8人辞めると言われる過酷な現場ですが、今、私は充実しています。

それはやっぱり意味のある絵を描いて、感謝され、稼いでいるからです」

 

聴きながら涙が出てしまったのは、自分の昔を思い出したからもあるけれど、大人の心無い一言に傷つけられた若い人が、一生懸命に立ち直った姿を見せてもらったからだ。

単なる進学就職の講演ではないものを思いがけずに見せてもらえた。

しかし今も昔も変わらないのか、とこれからを考えると暗澹たる気持ちになる。

それでも大学へ行かせるのか、行きたいのかな、と娘を見た。

娘は真剣な顔をして前を向いていた。

ひた向きな表情に一瞬心を突かれて、心配することないかもと思い直した。