裸の王様と聖火リレー

「王様は裸だ」と言った子どものように、ひとりの男が叫んでいた。

「おまえらは何様なんだ。オリンピックがどれほどのもんだ!くだらない!」

 

聖火リレーすごく見たい、というほどではないけれど近所を通るらしいという話になって、娘の同級生のYちゃんが、リレーセレモニーに市内中学生代表で出るということを聞いた。

それは見たいな、見にいこうか。一生に一度のことだし。そうだねぇ。

聖火リレーのおこなわれた幹線道路は、高い建物がほとんどない見通しの良い道で、ランナーの走るその時間帯は規制線が張られて一般車両は通行禁止になっていた。

平日の昼前という中途半端な時間帯、観客もまばらで、誰にいわれたわけでもないがソーシャルディスタンス仕様になっている。

事前に、ランナーは一般公募で選出された市民でタレントではないことが通知されていたので、見ている観客はほぼランナーの身内か、関係者か、モノ好きな暇人、といった感じだ。

「Yちゃんもリレー走るの?」

「いや、聖火は市内を通り抜けてK市に向かうけど、通った後に祝勝イベントがあって、中学生代表でスピーチするんだって」

「へえ、すごいな。雨あがってよかったね」

いつもなら絶え間なく車が通っている道路は、今はランナーのために空けられ、がらんとした空間が空いている。レッドカーペットならぬグレーカーペットだ。

上空をヘリコプターが飛び、何やら騒がしくなったと思ったら、遠くから賑やかな音楽が聞こえ、きらびやかな点が見えてきた。その点はだんだん音と共に大きくなり、大きなバスの形になって視界を塞いだ。バスの車体には大型のモニターが取り付けられ、光が明滅しながら「感動!感動!」と歌っている。

「みなさーん大きな拍手でお迎えしましょう!」

沿道に立った市職員がスピーカーで怒鳴った。

うながされて拍手はするが、仕方なくといった風情で、盛り上がっているとはお世辞にもいえない雰囲気だった。皆、無言でバスを見上げている。

バスの後ろから、お揃いのユニフォームを着た女の子たちが踊り出て、オリンピックロゴの入ったジュースを配り始めた。ソーシャルディスタンスのはずの観客がわっと集まってきて、無数の手がジュースの方へ伸ばされる。

「どうぞーどうぞー!!」

女の子たちが笑顔で踊って通り去る。しかし全員マスク姿なので、本当に笑っているのか、表情は読めない。

「おまえらは何様なんだ。オリンピックがどれほどのもんだ!くだらない!」

敵意むきだしの声だった。

後ろから冷水をかけられたような気がして振り向いた。

歩道の端に自転車に跨がった男の人が見えた。たぶん歳は70歳以上、痩せていて姿勢が悪く、襟首の伸びたTシャツを着ている。そして、マスクをしていなかった。

顔の真ん中に亀裂が入り、暗い穴のような洞窟のような、空間がぱかっと空く。

あ、これは「くち」だ。言いたいことを言う時に使う器官だ。

マスクをした顔を見慣れていて、他人の「くち」を自分の「目」で見るのは久しぶりで新鮮だった。感染の心配や周囲の非難とともに、呑気にそんなことを感じていたが、おじいさんから出てきた言葉は辛辣で厳しかった。

「おまえらはバカだ!こんなのにのせられやがってバカだ!!」

思わずジュースを受け取ろうとした手を引っ込めた。

ものすごく恥ずかしかった。

「じゃまなんだよ、なんじゃこれは!!通れねーだろ!!」

おじいさんはバスを蹴っ飛ばす仕草をしながら、バスの進行方向とは反対に自転車をこいで通り去った。

「感動!感動!」とバスが垂れ流す音楽が鳴っていたが、その場は「しーん」という効果音をつけたいような心情だった。隣に立つ友達と目が合うと、同じように気まずく思っていることが伝わった。

騒々しい音楽が去って間をおかずに、ランナーが通りかかった。

白いユニフォーム、白い靴、聖火トーチを片手にマスクなしの笑顔で、とても嬉しそうだった。

しかし、沿道に立つ私は、晴れやかな笑顔に後ろめたい気持ちがぬぐえず、マスクをしてて良かったと思った。

数10メートルごとにランナーが聖火をトーチリレーし、広場の前で市長が受け取ってリレーは終わったが、その後にセレモニーがあるとアナウンスがあったので、人波は去らずに広場にとどまっていた。

マイクが設置され、市長や教育委員会の簡単な挨拶があり、このイベントの趣旨説明があった。広場にオリンピック記念のモニュメントが設置されることになったのだが、タイムカプセルの役割も兼ね、中に市内の小中学生から集めた「20年後の自分への手紙」をいれることになったのだ。

この企画が決定したときは「オリンピックが東京で開かれるなんて一生に一度しかないだろうから記念に」くらいの気持ちだったのではないだろうか。図らずも一生忘れられない年になってしまった。

マイクの前にYちゃんが進み出て手紙を読み上げた。白い不職布のマスクが顔半分をおおっていて、ほぼ目しか見えない。

今、Yちゃんは15歳。20年後は35歳になっている。

手書きの便箋を読み上げる姿は中学生だが、手紙の内容が素晴らしかった。

本当に15歳なのか、中身はもう25歳でも35歳でも通じる。ほぼ大人だ。

彼女達から、私たちはどう見えているんだろう。

帰り道、友達と一緒にそんなことを話した。

 

「素敵な大人になりたいと15歳の私は思っています。35歳のあなたはどんなことを思っていますか。15歳のときの思いをどうか忘れないでください」

彼女の言葉が突き刺さったままだ。

 

オリンピックが悪いわけではないけれど、こんな状況下で開催するのは嫌だ、間違っている。

五輪開催反対署名もした。中止キャンペーンに寄付したりもした。

けれど現実は変わらない。

どうしたら良いのか分からない。

 

素敵な大人でいたいし、なりたい。

誰も王さまは裸だと言い出せない。

一緒に裸になって、風邪ひいてしまうオチにしか思えない。