夏越の大払

娘の髪は真っ直ぐでクセがなく、私に似て量が多い。

豊かでしなやかな手触りは絹糸のようで、小さな頃から毎朝、くしで整えゴムで結わいてあげるのことが私の楽しみでもあった。

もう少しすいて短くした方が楽なのではと思いつつ、髪を切ってしまうことが惜しくて、中学に上がってもなんとなくそのまま長くしていたが、起こさないと遅刻寸前まで寝ていることが多くなり、自分で適当に結わいてゆくようになった。

ある日、突然「髪切りたいの」と娘が言った。

「じゃあ、どのあたりまで切る?」と聞くと「うーん」と首を傾げている。

とりあえず手入れが楽な長さにしておいでよ、と近所の美容室へ連れていき迎えに行くと、顎下あたりまでばっさりと、おかっぱ頭にしていた。

「わ!随分切ったんだね〜」声をかけると、嬉しそうにはにかんだ。

切ったばかりの時はニコニコと満足げだったが、しばらくすると「もっと切れば良かった」と後悔していた。

顎下あたりのカットラインが一番、髪先がはねやすく、ゴムで結わくこともできない。

朝、ぎりぎりまで寝ていたのでは髪を直す時間がとれない。少し早めに起き、ヘアドライヤー片手に寝癖の箇所を押さえて直すようになった。しかし硬い髪質なので、なかなか直らず、中途半端な髪型で登校時間ぎりぎりまで格闘している。全部外側へはねていた朝は、こういう髪型ってことで!と開き直って登校していった。

懐かしい…と、自分が中学生の頃を思い出す。

「もっと切ってショートにすれば寝癖もつかないよ。また切る?」

娘は、あちこち勝手な方向を向いている髪を、ヘアピンを駆使してひとつにまとめた。

「もう少したったら、そうする。今はこれでいいや」と鏡の中の自分を見た。

まだ小学生の時の面影が残っている。でもふとした瞬間、大人になるのがそう遠くない未来だと感じる表情だった。

 

私は、人生の大半をショートカットで過ごしてきた。

アトピー体質もあって、髪の毛が首筋に触ると、かゆくなり我慢できなくなる。

髪の毛が長くなってくると、何か重いものがまとわりつくような感覚がする。切り落としてスッキリする感覚を味わってしまうと、長く伸ばせなくなってしまう。

春から夏に変わる頃、頃合いをはかって美容室に予約を入れる。

そういえば、もうすぐ夏越の大払の時期だ。

禊、というと大袈裟だけど、冬から春にかけて溜め込んだものを一掃しよう。

植木の手入れをするようなもので、メンテナンスが必要なのだと思う。

 

ふと気づくと、娘の前髪が伸び過ぎて、すだれ柳のようになっていた。

「髪、切りに行こう。今度こそスッパリ切らない?」

娘は無言でうなづいた。

ちょっと気にかかり、娘にあらためて問いかけた。

「本当に切りたいと思ってる? 言われたから切ったとか、後からお母さんのせいにされるのはいやだよ」

娘が顔をあげると、うっすら涙がにじんでいた。

むっとへの字になったくちから、しぼりだすように言う。

「思ってるよ、鬱陶しいな切りたいって、ずっと思ってたもん。どうして、本当にそう思ってるのかなんて聞くの」

いつもと違う表情にぎょっとして「なに、どうしたの」と問いかけると、下を向いてぐっと唇を噛み締めている。

「本当にそう思ってるの、って誰かに言われたの?」

うん、と娘はさらに下を向いた。前髪がカーテンのように垂れ下がって表情がみえない。

「それが、あなたはイヤだったのね。何がイヤだったの?」

小さな声で「思ってもいないくせに、とりあえず合わせておこうと思ってるでしょって言われた。本当にそう思ってるのって。」

娘は、あまり自己主張しない性格で協調性を重んじるタイプだ。今まで友達とトラブルを起こしたことなど一度もない。

口数は多い方ではないが、人当たりが良いし、コミュニケーションで悩んだことはなかった。しかし、何か思わぬ誤解を受けて傷ついたようだ。

しばらく待ってみたけれど、それ以上は何も言わず、前髪に隠れたままだった。

「でも、今はそう思ってるんでしょ。髪の毛切りたいなって。お母さんに言われたからでなく」

うん、と小さな声が聞こえた。

「とりあえず合わせてなんかいないでしょ、自分の髪型なんだから、自分で決めたいものね。じゃ美容院予約入れるよ」

中学生なんだから、きっといろいろある。

誰に言われたのか、どういう状況だったのか、聞きたいことはたくさんあったが、本人が話したいと思うまでは待った方が良いと判断して、言葉を飲み込んだ。

 「ショートカット、きっと似合うよ」

娘のサラサラの髪の毛を撫でる。

ううん、やっぱりちょっと惜しいなあ。

編み込みとかお団子とか、いろいろ楽しめるのに…でも

本人が望んでないことを親が押し付けてはマズいだろ。

 

1週間後、娘はショートカットにした。

美容院の鏡に向かって、晴々とした顔で「スッキリ!」と笑って言った。