稲刈りツアー

仕事でお世話になった農業団体が、3年ぶりに稲刈りツアーを開くと連絡をくれた。

「行きます!ずっと楽しみにしていました」とメールに返信しながら、同行者はどんな人がいるのだろうと少し不安を覚える。

このツアーはもう20年以上も毎年開催されていて、毎年参加する常連さんが大勢いると聞いていた。コロナでブランクができたとはいえ、参加者のほとんどはリピーターだろうし、私のようなぽっと出が参加して浮かないだろうか。

場に馴染む、は私が最も苦手なことのひとつだ。

コミュ障と言われても仕方ないが、なるべく息を潜めて存在を消し、喋らずにひっそりと後ろにいるくらいしか対処が浮かばない。

それでも稲刈りはやってみたい。

去年の秋、打ち合わせで現地に来て、見渡す限り黄金色の稲穂の海を、久しぶりに見た。

コンバインがモーゼの海割りのごとく稲を薙ぎ倒し、刈ってゆく様を見て、やってみたい!と言ったら、手刈りならツアーがあったんだけどねえ、と観光課の課長・高田さんが言った。

来年は復活させようという話もあるよ。良かったら参加します?

多分、社交辞令だと思われたようだが、私は食い気味で返事をした。

行きます!参加させてください!!あの、新米食べられますよね?

単なる食いしん坊である。

炊き立て銀シャリに惹かれて、せっせと仕事を片付け、ツアー当日に指定の場所へ行くと、老若男女がリュックやらカートやらの大荷物を持って集まっていた。

幼児、幼稚園生、小学生の兄弟とその親、という組み合わせのファミリーが2組。

50~60歳くらいの年配の女性、5人のグループ 。

50歳前後の夫婦、2組。

30歳前後の単独参加者、男女一人づつ。

参加者は20名ほどだった。

聞くと、コロナ前からのリピーターは女性グループと夫婦の1組だけで、他は初参加らしい。

前に職場の同僚が参加して良かったって聞いたから、行ってみたかったんです。

ちょろちょろ動き回る3歳くらいの女児を抑え込みながら、家族参加者のお母さんが言った。

シングルママかと思ったら、夫は乗り気じゃなかったから置いてきたと笑った。

もう1家族は、おっとりした感じの30後半パパとママが、よく似た雰囲気の小学生兄弟と「楽しみだねえ」と話している。

その横で、10歳前後の男の子と5歳くらいの男の子がゲーム機で対戦をしているが、この子達の親はどっちだろう。

見回していると、出発しまあすと声をかけられた。

バスに順番に乗り込む。

先に飛び乗った子供達が一番奥の席を独占して座り、必然的にその前の席に座る。

その途端、しまったと思った。

非常出口前で、席の幅が他より狭かったのだ。

子供達と席代わって欲しいな、と言い出そうとすると、隣に単独参加者の男性が座ってしまった。

その横の並びに女児と母親が座り、あらぁよろしくお願い致しますねと母親の方が挨拶しているのが聞こえる。女児が大きな声で言った。

「うわ〜わっかーーい、イケメンねぇ」

無邪気な声の調子にバス内がドっと沸いた。

ちょっと冷やっとしたものを感じて、イケメンと言われた隣の人を盗み見ると、一緒になって笑っていて安堵する。

いや、別にこともなげなことだけど。

 

8月の手紙

お元気ですか。

今年の8月は過酷でしたね。

9月になって10日、ようやく暑さがピークを過ぎたことを感じられるようになりました。

何だか、やっと息がつけた感じです。

今年の夏は、どんな夏でしたか。

私は、暑さからか更年期の症状なのか、精神的な不調が慢性化し、不安感が不意に襲ってきて食事が取れなくなるという悪循環ループにハマってしまい、今から考えると鬱状態でした。

仕事があると忙殺されて余裕がなくなり、なければないで先行きの不透明感に不安になって動悸がする…病院に行ったほうが良かったかもしれません。

しかし、このときは自分に必要なのは安定した収入、就職活動だと思い込み、ネット検索と出願エントリーに勤しむようになり、気づくとまた派遣会社から配属メールに返信していたのでした。

そして4年ぶりに、朝晩、満員電車に乗って通勤し帰宅する日々を送るようになったのです。

4年ぶりの通勤ラッシュは異様なほど静かで、殺気立っていて、本当にものすごく暑くて怖かった。

少しでも車内を冷やそうと天井部から勢いよく冷風が吐き出されるのですが、体部分は密着しているのに頭部だけガンガン冷やされ、目的の駅に降りるといつも頭痛と眩暈がして辛かったです。毎日、朝七時であってももう30度を超えていて、通勤先の会社まで熱気と湿気を超えてたどり着くと、もうライフゼロ!な感じでした。

新しい勤務先は、化学薬品の会社でした。

今考えると、入り口から異様な光景だったのですが、変な会社に慣れてしまっていたので不思議と受け入れてしまっていました。

正面入り口に大きな岩のオブジェや、木製のモニュメント、木彫りの像などが飾られており、なんとなくスピリチュアルな匂いが漂っていました。存在を主張し過ぎなモチーフばかりで、インテリアとしては成功しているとは言い難い気がする、としか感じませんでした。

余談ですが社長室はもっと異様で、所狭しと仏像や観音像、お札、天然鉱石などが天井近くまでギッチリと並べられ、隙間に自社製品が飾ってあるような状態でした。そのごちゃ混ぜ感はドンキホーテの店内を想像していただけると近いかも。

社内の様相はさらに混乱していました。

営業・制作部のフロアは、机と机の間に足の踏み場もないほど段ボールが束ね積み上げられ、プラスチック容器やビーカー、サンプルや製品見本などが隙間に捩じ込まれるように置いてあるのです。森の木の枝にキノコが生えるように、どんな棚にも隙間があればプラスチック容器が突っ込まれていました。

出社すぐ掃除することと決まりがあり当番表まであるのですが、デスクの紙ゴミを回収しゴミ置き場へ持っていくくらいしかせず、積み上がった段ボールも、プラスチック容器の入ったバケツも、半年以上はそこにあるようなホコリが積もっており、誰も片付けたり、ゴミ出しもしないようでした。

捨てないんですか?と聞いてみると、容器はそこからリサイクルするように置いてあるのだと言われました。段ボールも発送するときに手近にあると便利だから、というのです。

ゴミじゃないの。sDGSなの。

しかし百歩譲って、エコ精神でフロアに置いてあるのだとしても、サンプル品や自社製品が何の躊躇いもなくデスクにあり、手袋もせずビーカーに移し替えたり、机や容器にこぼれた液をティッシュペーパーで拭うだけという杜撰さには、どうしても慣れませんでした。

扱っている化学薬品は、市販製品の何倍という劇薬です。

私は自分が過敏すぎるのだと、これが普通、日常だと思い込もうと努力しました。

しかし、こぼれた薬品にまみれた容器やビーカーが置かれた机で作業し、仕事し、持参したお弁当をも食べる、という環境に慣れることは無理でした。

仕事をしていると、不意に体がゾワゾワする感覚に襲われ、体が痒くなったりトイレに行きたくなったり、席に座っていられないのです。

ロッカーの名札をみると、自分の名前の下に2〜3人の名前が透けて見え、何枚も紙を貼ったり修正したりの跡がありました。

この会社に異和感を感じて辞めたのは、私だけではない証拠のように感じました。

ふと気づくと、社員の誰もが私を注視して様子を伺っているのです。

そして、私に聞くのです。

もう慣れました?

今度の人は何日持つかしら。

そんなふうに聞こえました。

 

配属されて2週間ほど経った頃には、仕事中に何度もお腹が痛くなり、トイレにたっては机に戻るを繰り返していました。

フロアの向かいにあるトイレがあまりにも不潔で、どうしても使う気になれず、私は一つ上の階のトイレを使っていました。

その階のトイレだけが窓があり、外界からの空気と光が入って、少しだけ明るく感じるのです。他の階のトイレは、節電のため真っ暗で、使用するときだけ電気をつけるのですが、いつも何故か、うっすらと気配が残って、直前まで誰かがいたような感覚がありました。なんとなく気持ちが悪くて、いつも非常階段を上がってトイレに駆け込んでいました。

あるときトイレの個室で、ふと見上げた棚の上に、自社製品のスプレー消臭剤がありました。

そうだ、この匂いだ。

この会社、どこへ行っても、この匂いがする。

スプレーのラベルには、天然アロマ成分配合、リラックス効果、除菌・抗菌99%などの惹句が並び、可愛らしく爽やかなデザインがあしらってありました。

でも私はこの匂いが苦手なのです。

自然とは言い難い香りがトイレの個室に立ち込めており、その中に鉄のような匂いが混じっていることに気づきました。

この会社に勤めるようになってもう2週間以上、生理が止まらないのです。

どう考えても変だよ。

その時まで私は、ずっと鮮血が止まらないことを不思議に思うこともなく、トイレに駆け込むたびに、赤インクをこぼしたみたいなものを見ていました。いつもの状態とは明らかに違う反応なのに。

せっかく採用されたんだ、頑張って勤めなければ…と気を張っていました。

しかしその日、会社を出た途端に何でもなかった手首が真っ赤に腫れ上がりました。

どこにもぶつけていないのに、赤いあざが浮かび上がり、ピリピリした刺激があります。気づかないうちに、こぼれた薬品に触れてかぶれたのでしょうか。

この会社を辞めよう。

私はその場で派遣マネージャーに電話をしました。

 

その後、何度もマネージャーとは連絡をとりましたが、私はこの会社に一度も出社しませんでした。

非常識な行為だと、無責任だといわれても、どうしても足が向かず、逃げるように辞めました。

体は正直です。そして体が向かない場所は、心にも向かないことを学びました。

 

あの会社の匂い、ときどき街中でもするときがあるのです。

何の香りなんでしょう。

もう2度と嗅ぎたくない、と思いつつも不快な香りではないのです。

何とも言えない不思議な気分です。

 

葬儀の日 3

義母はネルのパジャマの上に紫色のフリースを着て、厚手の毛布にくるまって寝ていた。

もう6月だよ暑いんじゃない、と夫を振り返るが、寒がるんだよと言って、さらに毛布を首の下まで引っ張り上げた。

食事を摂れなくなって、点滴をするようになってから2ヶ月近く経とうとしている。体温を保てなくなっているのだという。

お母さん来ましたよ、おかあさん、夫は何度も大きな声で呼びかける。

目ヤニで開けにくそうだったが、しばらくすると義母は目を開けて、こちらを見た。

お母さんの瞳は青みがかった灰色で、ぼんやりとして焦点が合っていないようだった。

赤ちゃんみたいな目だ。

私、わかりますか、と何度か声をかけると、わずかにうなづき、ふわっと目元が綻んで微笑んだように見えた。

義母はもともと小柄で華奢な人だったけど、さらに痩せてしまっていた。

胸元に両手首を折り曲げるようにして重ね合わせている。枯れ木のようで痛々しい。

おかあさん、と言った後に言葉が続かなくて絶句してしまった。

来て良かったんだろうか。

ここに来るまでに何度か自問した。

義母は綺麗な人だったから、こんな自分は見られたくないと思っていたりするだろうか。

でも、思ったより病室は明るく顔色も良く、何も話せずとも約束を果たした満足感があった。

そう昔、私は約束したのだ。

最後の前には必ず会いにゆくと。

義母は瞬きしたかと思うと目を閉じた。

寝てしまう前に、子供たちにも会ってもらいたい、と私は病室を出て廊下で待っている二人に声をかけた。夫も一緒に部屋を出る。

入れ替わりに子供たちが入って、口々に話しかける。

おばあちゃん、来たよ。寝ちゃった?

義母はうっすら目を開けた。

病室の面会は二人までと決まっている。廊下の向こうのナースステーションが気になり、私は廊下にそっと出た。

だが、すぐに子供達は病室から出てきた。

おばあちゃん寝ちゃった、ちょっと苦しそうだよ。辛そうな顔だったね。

なんか言ってたよ。でも何言いたかったかは分からない。

え、本当に?

病室へ入ると夫はベッドの傍らに立ち、義母を見た。

もう随分、喋ってなかったのに。

孫と会えて嬉しかったのかも。良かった。

義母は首元を抑えて目を瞑っていた。

眉間に僅かに皺がよっているように見える。

おかあさん、待っててくれて、ありがとう。

直接言えて、会えて良かった。

葬儀の日 2

義母が入院した病院は隣町にあった。

実家のある市内には「まともな病院がない」と夫はいう。

義母が不調を訴えた時、まともな医療を受けられる場所を探したら、この病院しかなかった。

田んぼの真ん中の市道を走っていると、巨大な団地が見えてくる。

団地に見えたビル群は、病院の施設とその関係者の居住地、見舞客のホテルだった。その一角に巨大なイオンが隣接して立っている。

ここでもイオンなんだね〜と何気なくいうと、この病院の医療関係者の衣食住や入院患者の日用品、検査にきた患者や見舞客が時間を潰すのに行くのも、ここなのだという。

イオン無双やな。実際、めっちゃくちゃお世話になってる。ありがたいわ、と夫は言って車を巨大な駐車場の一角に停めた。

病院のエントランスの横にずらっと折り畳み車椅子が並んでいる。50台はあるだろうか。壮観だ。

それは、学校の体育館に備え付けの、折り畳みパイプ椅子の収納を思い起こさせた。

すごい数やろ、と夫は言って自動ドア横のガラス扉を開けて入っていく。

朝、病院へ来るとまず、このエントランスに車で乗り付けるん。
スタッフさんが待っていて、まともに歩けないような重病の人とか老人の患者を車椅子に乗っけて待合室に連れて行ってくれるんや。診察券と保険証も渡すと受付も済ませてくれる。その間に付き添いの家族は車を駐車しにいく。便利でありがたいことじゃ。もうさ、本当すごい人数が次々来るの。この車椅子全てが貸し出しになって足りなくなるくらいなんだ。

入り口を入ると、3階まで吹き抜けの広大なホールのような待合室に圧倒された。

視界の奥まで整然と長椅子が並べられ、教会のようだ。

平日の朝は、早朝から人がひしめき合い、雑音がすごくて、呼び出された名前が聞き取れないほどだという。

今は物音ひとつ聞こえない。

はるか上の方から日光が差し込んで、誰もいない長椅子を照らしている。

 

奥へ進むごとに、廊下が狭くなり、窓がなくなって暗くなる。

どん詰まりにエレベーターホールがあって、3機のエレベーターが並んでいた。

一番上、10階。夫がボタンを押して言った。

ホスピス病棟なんだ。関係者以外は立ち入れない。

エレベーターの扉が開くと、別世界のように明るく、目の前に屋上庭園があった。

看護婦さんに声をかけ、ナースステーションで受付をする。

庭園を囲む回廊のように病室が並び、扉一つ一つに花の名前と写真が貼ってあった。

お母さんはリンドウと言って夫は病室の一つを示し、子どもたちに言った。

あのさ、一応面会は一度に二人って決まってるんだ。

先に二人で入るから、ちょっと待っててくれるかな。

夫は私に目線を合わせうなづくと、病室に入って行った。

葬儀の日

「どうしよう、もってあと1ヶ月あるか、ないか、だって」

夫が動揺した声で電話をかけてきた。

どうしよう、じゃないよ。

時間がないんだから、思いつく限りのお義母さんの知り合いに連絡を取って、会いにきてもらうんだよ。

私たちも最後のお別れに行かなくちゃ。今週土日空いてる?

子ども達に声をかけると、二人とも予定は大丈夫だという。

土曜のお昼の面会時間に予約とってもらえるかな。朝イチで出発するから。

バスの時刻表と発着場所を確かめ合って、持ってゆくものだの、待ち合わせ場所だの、細かなことを打ち合わせた。

夫の実家に行くことが5年ぶりだ。

その間にバスターミナルが新しくなっていて、発着場所がガラリと変わっていた。

地下通路がダンジョンのようになっていて、地図を一見したところで辿り着ける自信がない。

途方に暮れていると、息子が「これの通りに行けば大丈夫」とyoutube動画を示した。なるほど、こうやって三次元映像で参照されると大変わかりやすい。

それでも道に迷って乗り遅れたら、と思うと不安で大分早く家を出たのだが、果たしてバスは空いていた。

5年前に乗った時は、朝イチで並んでギリ席がとれるくらいには混んでいたのに。

夫の実家は関東圏のどん詰まりにある漁師町で、観光客で賑わった時期もあったのだが、近年は東京に近い方へ近い方へと人口が流出してしまい、過疎がすごい勢いで進んでいるという。

バスから見える景色も、空き家や耕作放棄地がチラホラ見えて、何か物悲しい。

薄汚れたシャッターの閉まる商店街を素通りして、飲食チェーン店やフランチャイズ薬局などの横をすり抜けると、大型客船みたいな白い建物が見えてくる。

あ、イオンだ。

娘が上目遣いで窓に張り付いて言った。

夫が言っていた超巨大イオンってこれかぁ。

私も口をぽかんと開けて見上げた。

 

ジャスコ…じゃないイオンができて本当にこの辺は助かったんだ。

衣食住、全てが買えて賄えるし、ご飯も食べられる。映画も見れる。本も買える。

今となっては、なかった頃どうしていたか思い出せないくらいだ。

でも、どうしてもジャスコって言っちゃうよな。イオンって今だに、カッコつけてなんだよそれって感じがしてしまう。

 

しかし今、地方経済はイオンが支えてると言っても過言じゃない、ような気さえしてくる。

 

イオンを通り過ぎ、寂れた駅前に着くと、客は私たち家族しかいなかった。

色褪せた「ようこそ!」の横断幕の下で夫は傘をさして待っていた。

 

お母さんの具合どう、と聞くと、とりあえず昼飯食おうよ、と夫は話題を避けた。

久しぶりだろ、こっちくるの。

入梅イワシの良いのが入ったって聞いたんだ。

地元の定食屋だけど、結構うまくて評判なんだよ。

母さんもよく通ってたんだ。

雨、止んでるよお父さん、と娘が言って、夫は傘を畳み、歩き出した。

 

 

葬儀の日

「どうしよう、もってあと1ヶ月あるか、ないか、だって」

夫が動揺した声で電話をかけてきた。

どうしよう、じゃないよ。

時間がないんだから、思いつく限りのお義母さんの知り合いに連絡を取って、会いにきてもらうんだよ。

私たちも最後のお別れに行かなくちゃ。今週土日空いてる?

子ども達に声をかけると、二人とも予定は大丈夫だという。

土曜のお昼の面会時間に予約とってもらえるかな。朝イチで出発するから。

バスの時刻表と発着場所を確かめ合って、持ってゆくものだの、待ち合わせ場所だの、細かなことを打ち合わせた。

夫の実家に行くことが5年ぶりだ。

その間にバスターミナルが新しくなっていて、発着場所がガラリと変わっていた。

地下通路がダンジョンのようになっていて、地図を一見したところで辿り着ける自信がない。

途方に暮れていると、息子が「これの通りに行けば大丈夫」とyoutube動画を示した。なるほど、こうやって三次元映像で参照されると大変わかりやすい。

それでも道に迷って乗り遅れたら、と思うと不安で大分早く家を出たのだが、果たしてバスは空いていた。

5年前に乗った時は、朝イチで並んでギリ席がとれるくらいには混んでいたのに。

夫の実家は関東圏のどん詰まりにある漁師町で、観光客で賑わった時期もあったのだが、近年は東京に近い方へ近い方へと人口が流出してしまい、過疎がすごい勢いで進んでいるという。

バスから見える景色も、空き家や耕作放棄地がチラホラ見えて、何か物悲しい。

薄汚れたシャッターの閉まる商店街を素通りして、飲食チェーン店やフランチャイズ薬局などの横をすり抜けると、大型客船みたいな白い建物が見えてくる。

あ、イオンだ。

娘が上目遣いで窓に張り付いて言った。

夫が言っていた超巨大イオンってこれかぁ。

私も口をぽかんと開けて見上げた。

 

ジャスコ…じゃないイオンができて本当にこの辺は助かったんだ。

衣食住、全てが買えて賄えるし、ご飯も食べられる。映画も見れる。本も買える。

今となっては、なかった頃どうしていたか思い出せないくらいだ。

でも、どうしてもジャスコって言っちゃうよな。イオンって今だに、カッコつけてなんだよそれって感じがしてしまう。

 

しかし今、地方経済はイオンが支えてると言っても過言じゃない、ような気さえしてくる。

 

イオンを通り過ぎ、寂れた駅前に着くと、客は私たち家族しかいなかった。

色褪せた「ようこそ!」の横断幕の下で夫は傘をさして待っていた。

 

お母さんの具合どう、と聞くと、とりあえず昼飯食おうよ、と夫は話題を避けた。

久しぶりだろ、こっちくるの。

入梅イワシの良いのが入ったって聞いたんだ。

地元の定食屋だけど、結構うまくて評判なんだよ。

母さんもよく通ってたんだ。

雨、止んでるよお父さん、と娘が言って、夫は傘を畳み、歩き出した。

 

 

市役所のカースト制度

雨の降る中、久しぶりにママ友と3人で集まり、ランチに行く。

近所の創作フレンチのお店がビストロ居酒屋に改装していて、話題になっていたのだ。

AちゃんママもBくんママも、息子が小学生の頃からの友達だ。

久しぶりー元気だった〜と言いながら店に入る。

改装したとは言っても間取りやインテリアはほぼそのままで、メニューだけが手書き二つ折りのブック型に変わっていた。

チラッと見て値段だけを確かめてから、パスタランチを3人とも頼む。

味にはそんなに期待はしていない。それより大切なのが情報収集というおしゃべりだ。

「Aちゃん、学校どうお? もしかしてもう受験体制なの?」

Bくんママがおっとりと話しかける。Aちゃんは規律の厳しい私立高校へ通っていて、毎日授業についていくのが大変だと前回のランチでママが嘆いていた。

「そうね、毎日大変よ。朝、0時間目っていう授業があって7時半から授業なの。お弁当作るために私も朝5時起きよ」

進学校は違うわねぇ、Bの部活の朝練のために、私も5時起きで弁当作ってるけど」

二人に合わせて、私も何となく笑う。

息子の学校は自転車で15分の距離なので、家を出るのが8時頃、Aちゃんが授業を受けている頃だ。そんなことはどうでも良いけど。

「そういえば、Cくんママにこの間、市役所で会ったのよ。びっくりしたわ」

「あれ? Bくんママ、Cくんママと知り合いだったっけ?」

「上のお兄ちゃんとサッカーが一緒だったのよ。市役所で事務のパートしてるんだって」

「えーーっ!この間、Dくんママも市役所で会ったよ!やっぱり同じ、事務パート始めたんだって」

言い合う二人を見て、何となく合点のいった私。

そうか、そうなんだな。

「このあたりでパートしてたママ達に、市役所で仕事しないかって口コミで回ってきたんだよ。実は私もCくんママに誘われたのよ」

「ええっ、そうなの?」

「でも断ったんだ…」

「何で〜?市役所なんて手堅くて良いじゃない! 知り合いが一緒なら、助け合ったりしやすそう」

「うーーむ、それはね〜メンバーによるよ…」

3人でうなづきあう。

あまり大きな声ではいえないが、Dくんママはトラブルメーカーで有名だった。

悪い人ではないけれど、火のないところに煙を立てがちなタイプ。

私は、Cくんママから聞いた実情を、どこまで話して良いか考えながら口を開いた。

「市役所のパートって一口に言っても、ヒエラルキーがあるんだっていうんだよ。一番えらいのはもちろん、正社員…じゃなくて正規採用公務員。歳が20代でも高卒でも関係ないの。次が古参のアルバイト。市役所の直接雇用で10年以上勤めている人、そこから下はもう全員、派遣社員。それも参入の順に微妙に時給が安くなってる。同じ派遣でも、リクルートの方がパソナよりちょっと時給良かったりする。

でもね、みんな同じ仕事してるんだって。不公平すぎて、ボーナス時期とかギスギスするっていってた」

「安くても、ボーナス出るなら良いじゃない」

「派遣には出ないよ〜でも公務員と直接雇用アルバイトには出るんだって」

「す、すっごい不公平じゃん…ストとか起きないの?労働組合とかどうなってるの?」

派遣社員労働組合はないよ〜もし何かコトを起こそうとしても、首切られちゃうからって総スカンだって。結構、地獄だよ、だって」

お待たせしました、とサラダとスープが運ばれてくる。

しばし無言で3人、レタスとトマトを突き、コンソメスープを飲んだ。

Aちゃんママが、あっと声をあげた。

「Uくんママも市役所パートにいるでしょ?」

UくんママはAちゃんママの天敵だった。

小学生時代、子供同士仲が良いことを理由にいつも一緒にいたので、ママ同士も仲が良いと思っていたら、卒業式の日に「あの人図々しいから嫌いだったわ」と聞いて、女同士の難しさをおもいしった。

「この間、スーパーでばったり会ったのよ。そしたら『働き始めたんだけど、今の職場、知り合いばっかりで居心地良いの!あなたも来ない?』って誘われたのよ」

「え〜断ったんだ、良い条件かも知れなかったのに」

「いやよ、あの人といると面倒なこと全部、私にふってくるんだもん、もう勘弁だよ。

事務仕事なんだけど、派遣だから面倒なことは『分かりません』で避けて済ませてるって笑っててさ」

「うわ〜Uくんママらしいね」

そう言いながら、Cちゃんママの「要領ばっかり良い人が得して腹立たしい」と言っていたことをチラッと思い出す。

 

もうね、役所に来るじーさんばーさんなんか

市役所の人間なんて奴隷みたいなもんだと思ってるのよ。

公僕とはいうけれど、私ら公務員じゃないのよ、派遣社員なのよ。

なのに、その派遣の中でも身分制度みたいなカーストがあって。

責任感が強い良い人ほど、耐え切れなくて辞めてっちゃうの。

何がそんなに嫌なのかって? 

なんだろ、積もり積もった日本の理不尽みたいなものかしらね。

竹中平蔵を恨むわよ〜五寸釘打ち付けたいもん!

 

Cくんママの独白を思い返していたら、パスタの皿を目の前に置かれた。

「美味しそう!」

市役所のような公共機関でも派遣カーストはあるのか。

もう本当に、日本は中抜き天国になっているんだな。

色々溜まって疲れ気味のCくんママに、今度お茶しようよ、と言ったら「元気が残ってたらね」と力ない笑顔で言われて胸が疼いたコトを思い出した。

元気かな。

ちょっとラインしてみよう。