8月の手紙

お元気ですか。

今年の8月は過酷でしたね。

9月になって10日、ようやく暑さがピークを過ぎたことを感じられるようになりました。

何だか、やっと息がつけた感じです。

今年の夏は、どんな夏でしたか。

私は、暑さからか更年期の症状なのか、精神的な不調が慢性化し、不安感が不意に襲ってきて食事が取れなくなるという悪循環ループにハマってしまい、今から考えると鬱状態でした。

仕事があると忙殺されて余裕がなくなり、なければないで先行きの不透明感に不安になって動悸がする…病院に行ったほうが良かったかもしれません。

しかし、このときは自分に必要なのは安定した収入、就職活動だと思い込み、ネット検索と出願エントリーに勤しむようになり、気づくとまた派遣会社から配属メールに返信していたのでした。

そして4年ぶりに、朝晩、満員電車に乗って通勤し帰宅する日々を送るようになったのです。

4年ぶりの通勤ラッシュは異様なほど静かで、殺気立っていて、本当にものすごく暑くて怖かった。

少しでも車内を冷やそうと天井部から勢いよく冷風が吐き出されるのですが、体部分は密着しているのに頭部だけガンガン冷やされ、目的の駅に降りるといつも頭痛と眩暈がして辛かったです。毎日、朝七時であってももう30度を超えていて、通勤先の会社まで熱気と湿気を超えてたどり着くと、もうライフゼロ!な感じでした。

新しい勤務先は、化学薬品の会社でした。

今考えると、入り口から異様な光景だったのですが、変な会社に慣れてしまっていたので不思議と受け入れてしまっていました。

正面入り口に大きな岩のオブジェや、木製のモニュメント、木彫りの像などが飾られており、なんとなくスピリチュアルな匂いが漂っていました。存在を主張し過ぎなモチーフばかりで、インテリアとしては成功しているとは言い難い気がする、としか感じませんでした。

余談ですが社長室はもっと異様で、所狭しと仏像や観音像、お札、天然鉱石などが天井近くまでギッチリと並べられ、隙間に自社製品が飾ってあるような状態でした。そのごちゃ混ぜ感はドンキホーテの店内を想像していただけると近いかも。

社内の様相はさらに混乱していました。

営業・制作部のフロアは、机と机の間に足の踏み場もないほど段ボールが束ね積み上げられ、プラスチック容器やビーカー、サンプルや製品見本などが隙間に捩じ込まれるように置いてあるのです。森の木の枝にキノコが生えるように、どんな棚にも隙間があればプラスチック容器が突っ込まれていました。

出社すぐ掃除することと決まりがあり当番表まであるのですが、デスクの紙ゴミを回収しゴミ置き場へ持っていくくらいしかせず、積み上がった段ボールも、プラスチック容器の入ったバケツも、半年以上はそこにあるようなホコリが積もっており、誰も片付けたり、ゴミ出しもしないようでした。

捨てないんですか?と聞いてみると、容器はそこからリサイクルするように置いてあるのだと言われました。段ボールも発送するときに手近にあると便利だから、というのです。

ゴミじゃないの。sDGSなの。

しかし百歩譲って、エコ精神でフロアに置いてあるのだとしても、サンプル品や自社製品が何の躊躇いもなくデスクにあり、手袋もせずビーカーに移し替えたり、机や容器にこぼれた液をティッシュペーパーで拭うだけという杜撰さには、どうしても慣れませんでした。

扱っている化学薬品は、市販製品の何倍という劇薬です。

私は自分が過敏すぎるのだと、これが普通、日常だと思い込もうと努力しました。

しかし、こぼれた薬品にまみれた容器やビーカーが置かれた机で作業し、仕事し、持参したお弁当をも食べる、という環境に慣れることは無理でした。

仕事をしていると、不意に体がゾワゾワする感覚に襲われ、体が痒くなったりトイレに行きたくなったり、席に座っていられないのです。

ロッカーの名札をみると、自分の名前の下に2〜3人の名前が透けて見え、何枚も紙を貼ったり修正したりの跡がありました。

この会社に異和感を感じて辞めたのは、私だけではない証拠のように感じました。

ふと気づくと、社員の誰もが私を注視して様子を伺っているのです。

そして、私に聞くのです。

もう慣れました?

今度の人は何日持つかしら。

そんなふうに聞こえました。

 

配属されて2週間ほど経った頃には、仕事中に何度もお腹が痛くなり、トイレにたっては机に戻るを繰り返していました。

フロアの向かいにあるトイレがあまりにも不潔で、どうしても使う気になれず、私は一つ上の階のトイレを使っていました。

その階のトイレだけが窓があり、外界からの空気と光が入って、少しだけ明るく感じるのです。他の階のトイレは、節電のため真っ暗で、使用するときだけ電気をつけるのですが、いつも何故か、うっすらと気配が残って、直前まで誰かがいたような感覚がありました。なんとなく気持ちが悪くて、いつも非常階段を上がってトイレに駆け込んでいました。

あるときトイレの個室で、ふと見上げた棚の上に、自社製品のスプレー消臭剤がありました。

そうだ、この匂いだ。

この会社、どこへ行っても、この匂いがする。

スプレーのラベルには、天然アロマ成分配合、リラックス効果、除菌・抗菌99%などの惹句が並び、可愛らしく爽やかなデザインがあしらってありました。

でも私はこの匂いが苦手なのです。

自然とは言い難い香りがトイレの個室に立ち込めており、その中に鉄のような匂いが混じっていることに気づきました。

この会社に勤めるようになってもう2週間以上、生理が止まらないのです。

どう考えても変だよ。

その時まで私は、ずっと鮮血が止まらないことを不思議に思うこともなく、トイレに駆け込むたびに、赤インクをこぼしたみたいなものを見ていました。いつもの状態とは明らかに違う反応なのに。

せっかく採用されたんだ、頑張って勤めなければ…と気を張っていました。

しかしその日、会社を出た途端に何でもなかった手首が真っ赤に腫れ上がりました。

どこにもぶつけていないのに、赤いあざが浮かび上がり、ピリピリした刺激があります。気づかないうちに、こぼれた薬品に触れてかぶれたのでしょうか。

この会社を辞めよう。

私はその場で派遣マネージャーに電話をしました。

 

その後、何度もマネージャーとは連絡をとりましたが、私はこの会社に一度も出社しませんでした。

非常識な行為だと、無責任だといわれても、どうしても足が向かず、逃げるように辞めました。

体は正直です。そして体が向かない場所は、心にも向かないことを学びました。

 

あの会社の匂い、ときどき街中でもするときがあるのです。

何の香りなんでしょう。

もう2度と嗅ぎたくない、と思いつつも不快な香りではないのです。

何とも言えない不思議な気分です。