バスが出発してすぐ、この席になったことを後悔した。
とにかく狭い。
隣になった男性は、山田と言います、と名乗ってぺこりと頭を下げた。
アイドルのような風貌で10代にしか見えない。学生さんですか?
いや、学生じゃないです26なんですもう、と言って山田さんは笑った。
しかし彼は不運なことに、ツアー最年少の3歳女児にいたく気に入られ、バスが目的地に着くまでずっと膝の上に乗られていた。
「ねぇイケメン、はーちゃんはねぇ、新幹線に乗ったの」
「イケメン、アメ食べる? はーちゃんね、ミルキー持ってきたの」
その度にパタパタと足が当たり、膝を蹴られる私。
マシンガントークの三歳児に何とか隙を見つけて話しかけた。
「はーちゃんのお名前は何ていうの?」
「はるか」
その声はそっけなく、私など眼中にないことがわかりすぎるくらいである。
はーちゃんが私に向ける顔と、イケメン山田さんに向ける笑顔の落差が激しくて、三歳児のキックなんて痛くはないけれど、微妙に心を削られる。
それより気になったのは、ずっと山田さんのことを「イケメン」と呼んでいることだ。
私はこの言葉が好きじゃない。
人を軽んじてる気配がするからだ。
もちろん三歳児はそんなこと考えているはずもないけれど、母親がそばにいるなら「ちゃんとお名前を聞いて話しかけなさい」と言わなくちゃダメだろう。
…と考えるのは私が昭和脳だからか。
横目で、はーちゃんママを見ると、スマホの画面を凝視しながら、何やら一心に文字を打ち込んでいる。
普段はフルタイムでお勤めなのだという。
朝7:00に家を出て、駅前の保育園に子どもたちを預けて仕事に行って、残業を免れたら6時にお迎えに行く。帰ってきたら夕飯を食べて、掃除、洗濯をして、前日に干した洗濯物を取り込み畳む。お風呂に入って寝たらもう、朝。その繰り返し。
余裕なんて全くなくて。
子供達は、コロナになってから旅行どころか遠足だって満足に行ったことなかった。
稲刈りツアーには結婚前に一度行ったことがあって、良い思い出しかなかったから、また再開されると聞いて申し込んだんです。新米ももらえるし。
結局、仕事が終わらなくて、報告書の下書きをスマホのメモ機能に打ち込んでるんですけど。
うちの子供たち、旅行慣れしてなくてすみません、はしゃいじゃって、ご迷惑おかけしますが宜しくお願い致します。
…と、はーちゃんママは、澱みなくサラサラと話しながらも、目はスマホの画面を見たままで、高速で文字を打ち込んでいる。
すごく仕事ができるか、または、人の気持ちに鈍感なのか。
どっちもかもしれないな、と思いながら山﨑さんを見ると、死んだ魚のような目をして、はーちゃんのお喋りに相槌をうっていた。
さあ、着きましたよ!
高田さんが一声かけると、バスのドアが開いた。
学校のプールほどの広さいっぱいに稲穂がわさわさと風に揺れているのが見えた。