カナミちゃんとタペストリー

大学に入って初めて声をかけた友達がカナミちゃんだった。

身長150cmない小柄で細身の後ろ姿を見て、なんとなく同い年だと思い、声をかけたのだ。

振り返った彼女は、淡い麻色の髪の毛を腰まで伸ばし、ブカブカのパーカーと裾を折ったジーンズを履いていた。正面から向かい合って、かなりの美少女だと気づき、気後れして話しかけたことを後悔した。

現役で入学してきた同級生だと思って話しかけたのだが、実は年上で2浪だと後から知った。

今まで見たことない綺麗な色をした髪の毛は、染めていたのではなく地毛だった。

彼女に複雑な出自のバックボーンがあるだろうことは一見で感じとれたが、彼女は明るく気さくに返事をしてくれて、一瞬の気まずさはすぐ消えた。

仲が良い、というほどじゃないけれど気づくと一緒のグループにいる。そんな間柄だった。

彼女は、大勢の大人に囲まれて育った者特有の勘の良さと、ひとが言って欲しい言葉を察する優しさを持ち合わせていた。いつも周囲に友達が居て、輪の中心で笑っていた。

 

学校の課題が終わらなくて遅くまで残っていると、学校近くに一人暮らしをしている友達にウチに泊まらないかと誘われる。

ワンルームで、3、4人の仲間でワイワイ喋りながら作業するのは楽しかった。

そのグループの中にカナミちゃんがいた。

「わたし実は可哀想な身の上なのよ」

夜半を過ぎて、カナミちゃんがポツポツ話してくれる身の上ばなしは、20そこそこの年齢には不似合いな程に波瀾万丈だった。

彼女は父親が日本人、母親がユダヤ人のハーフだといった。

「でもね、ママも生粋のユダヤ系じゃなくてさ、私、色々なルーツが混じってるんだ」

複雑な血筋が見た目に反映していて納得する。

麻糸のように細く淡い色した髪の毛は、軽くウエーブがかかっていて、肌色も日本人よりワントーン明るく、目の色は緑がかっている。

でも、まるっきり白人のような容姿かというとそうではなく、くっきり大きい目は一重だったし、細く品の良い鼻は高過ぎず、全体にプレーンな顔立ちでアジアン寄りだった。

小柄ではあるけれど、モデルのような容姿は校内では目立ち、よく写真を撮らせてくれと頼まれていた。

授業の課題のためという学生や、媒体カメラマンが取材で校内に来て目に止まったから、という時もあった。スカウトされたことも何回もあった。

でもカナミちゃんは頑なに断り、表に出ることを極端に嫌っていた。

 

しつこく食い下がってきたカメラマンに、着ていたジャケットを褒められて、珍しくカナミちゃんは撮影に応じたことがあった。

それは、オレンジと黄色の細かな糸がボーダー状に織られて、ところどころ緑や紫の色がアクセントに入っている、どこか外国の民族服のようだった。

つづれ織、っていうんだよね。今、聴いているアルバムのタイトルと同じなんだ。

へぇ、綺麗だねえ。

複雑な色合いの服は、カナミちゃんのハチミツ色の髪の色に映えてよく似合っていた。

「私、布が好きなんだよ。デザインよりも本当はそっちの方へいきたいんだ」

カナミちゃんはジャケットを撫でながら言った。

「さっきのカメラマンさん、アジアの辺境を旅して写真を撮ってるって言ってた。私のこの服も見たことあるって、作った国を言い当ててたよ」

カナミちゃんが着ていたのは大抵がアジア周辺国の民族服で、高円寺近辺のアジア雑貨や、大学近くの古着屋で買っているらしかった。

「グラフィックって就職するのに有利かと思って受験したけど、やっぱり布に関係する方へいきたいんだ」

布、ってファッションってこと?

「ううん、テキスタイルとか染色かな。それで、来年は別の学校へいきたいと思ってる」

え、受験し直すの? 信じられなくてカナミちゃんを見ると、彼女は視線を逸らした。

 

学祭の時に一度、カナミちゃんが家族を紹介してくれた。

「お母さんとお父さんとお姉ちゃん」

3人とも黒髪にがっしりした体つきで、マトリョーシカのようにそっくり、典型的な日本人の姿だ。

カナミちゃんが「家族」と居並ぶとはっきり違っていて、ハーフの子たちはいつもこんな孤独を突きつけられているのかと一瞬ひるんだ。

あれ?おかあさんが外国籍の方だったよね…と、つい見てしまっていると、

「お母さんは死んじゃったんだよね、私が3歳の時に。お母さんって呼んでるのは本当はお父さんのお姉さんなの」

カナミちゃんは小声で言った。

「まぁでもさ、見てわかるでしょ。良い人たちですごく大事にされてるの」

学祭が終わると、カナミちゃんを大学内では見かけなくなった。

新学期が始まると、名簿の中にカナミちゃんの名前はなかった。

 

学校を卒業して20年ほど経った同窓会で、カナミちゃんの話題になった。

あの、モデルみたいに可愛かったカナミちゃん、今は染色作家になっているらしいよ。

ロシアとヨーロッパの境にある国々を回って、タペストリーを見に行ったって聞いた。

タペストリー?

日本では耳慣れない言葉だったが、その国では家族のルーツを様々なデザインにして織り込み、タペストリーに仕上げる風習があるのだという。

カナミちゃんのお母さんのルーツの国なんだそうだ。

そういえば、タペストリーって日本語ではつづれ織と訳されることがある。

あ、キャロル・キングだ。

不意にアルバムのタイトルを思い出した。

カナミちゃん、元気かな。

元気だったよ、布が好きで布を求めて遠い国まで行ったのに、毎日馬に乗ってたって笑ってた。