「見立てる」は、日本文化の一面だ。
「見立てる」
物事や状況を、別のものに仮定する、なぞらえる、翻案する。
それは、最大公約数を提示したり、相似形を探し当てたり
どちらかといえば数学の公式のようなロジックに基づいた概念だ。
そのキーワードを中に持っている人たちには、特別に響く魔法。
「見立てる」ことによって、様々な状況を自分の中に引き寄せることができると、相手を理解できるような気もする。
一歩ひいて俯瞰する視点を得て、さらに別の物事の相似形のものに気づくと、別の意味に組み替えることもできる。
もちろん発展性の高いものごとばかりに「見立てる」ばかりじゃないだろうけど。
理解できたからといって相手に迎合はしなくとも良い。
その理解も自分の主観に基づくものなのだから。
でも、今ある地点でどうしても納得できないことがあったとき、発想法としては悪くない、と感じた。
分からない物事は、無理に解釈しようとするよりも、自然に諦観が浮上がってくるを待つ方が納得できるし後悔が少ない。
しかし、どうかすると一元的な視点に向かいがちな私には、戒めとしても機能すると思って、備忘録として書き残す。