「共感性」の水たまり

「共感性」というキーワードがもてはやされてから結構たつ。

 

ちょっと前までは、同じように人を惹きつけるワードが「物語性」だったように記憶している。

人を消費へ向かわせる力を持ったコンテンツは、人の感情を動かす要素に満ちていると思うのだけど、資本主義の言葉で分析されると、こんな感じにぶっきらぼうになるのだな、と妙な関心をした覚えがあった。

マーケティング解析や訴求力などの味気ない言葉で数値化・グラフ化され、「損得」や「勝ち負け」の概念で解説されていると、不思議な気分になる。

そこに「共感」はないのになあ。

開ききらない傘みたいな円グラフを示して、一生懸命話している目の前の人を、ポカンと見ていた。

その人は、傘の折れた部分を指差しながら、早口で説明している。彼が見ているのは私ではない。折れた傘の線だ。

「そのグラフを丸くバランスよくすると、どうなるんですか?」

思わず聞くけど、意味がさっぱり分からない。途方にくれる私。

だんだん、傘ではなく水たまりに見えてきた。

小さな水をたたえ、空を映している、地面の水たまり。

その水たまりに浸かっている人しか、共感できないらしい。

枠めいいっぱいまで広げても、私は中に入れそうにない。

枠の外で、水たまりを眺めている。